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毒を食らわばコックまで

注意喚起のためのブログではありません。個人の意見をただ載せていくだけのブログです

無題


 色んな方に見ていただいているこのブログですが、全記事を通して「これは私の考えでしかなく、必ず正しいことを主張しているわけではない」というスタンスです。


いろいろ記事では書いていますが、単純に言うならば、

【中の人の話は「鍵アカウント」か「完全に検索よけしている状態」でなら自由にすればいいと思うけど、そうでない場合はやめといたほうがいいよ】

という意見です。



散々「私の考えです」と言ってきたので、どうしてこういう考えなのか少しお話させてください。


生まれ年をはっきり言うと身バレするのでだいぶぼかしますが、私はpixivもツイッターもない時代に長くいました。


ネットが発達すると、いわゆる「ナマモノ」を取り扱うジャンルでも、ブログやファンサイトが多く生まれました。


これらのブログやファンサイトは、入り口だけでなく各コンテンツに二重三重にパスを仕込み、必読ページには必ず「もし万が一関係者やご本人の方でしたらどうか今すぐブラウザを閉じてください」といった趣旨のことが書かれていました。


ファンサイトなので、その対象に関して好意的なコンテンツしかないことがほとんどでしたがそれでも、それが普通でした。



私はその時代の人間なので、今の公開アカウントで検索よけしないで実在の人物についてガンガンつぶやくぜ!という気風に乗っかれないところがあるんです。


古い考えなのかもしれませんが、それが普通で、それをよしとしてきて、そのおかげで平穏が保たれているジャンルを経験した人間からすると、ツイッターはあまりにオープンすぎました。



なので、「公開アカウントで」「検索よけなしで」そういった話題をするのは、たとえ1兆分の1の確率でも本人の目に触れる可能性があるのでやめたほうがいいんじゃないか、と私は考えているのです。


実際にオープンすぎて殺伐とすることが少なからずあるのが現在の状況ですよね。





極論なのですが、当時のこういった「完全に隠す」という行為は、


・例え好意的な意見でもご本人やその関係者が曲解して名誉毀損などで訴えてくる可能性(低いけどゼロではない)


・ご本人が見てマイナスな受け取り方をしてしまう可能性(これも低いけどゼロではない)


・他の神経質なファンが突撃してくる可能性(割とある。経験したことがある方もいらっしゃると思います)


を完全に断つことができる便利な行為でもありました。

つまり言ってしまえば「無難」なんですね。



高尚なことを考えているのではなく、「なんか他の奴に文句言われる前に隠しとこう」みたいな軽いきもちです。


軽いきもちであろうと、隠しておけば実際に何も起こらなかったし、パスを突破できるような本当に同志と言える人のみが見てくれて、交流ができました。

つまり隠しておきさえすれば、一応は平和だったんです。


これは現在でも言えることかな?と思います。 


ですから、


単刀直入に私の考えを一言で表すと、「無難だし隠しとこうよ」になります。



目に入ると不愉快だから隠してほしいわけじゃないんです。

誰かに何か言われる前に、隠しておくといいよ、と思うんです。


鍵アカウントだったり検索よけをしているのに晒されたり突撃される場合は、私怨などの可能性がありますので、これはまた別の話になります。




まとまりがない文章ですが、私の考えはこういった順路を経ていますよ、という記事でした。


自分の考えをダラダラたれ流すオ○ニー的なブログですが、いつも見てくださっている方に感謝いたします。



色々な意見の方がいるのは当たり前のことですが、去年の春のショーのごとく、それぞれの歩み寄りを経て分かち合えるといいなあと思います。